大和ミュージアム [江田島と大和ミュージアム]
江田島編がやっと終了したので、
大和ミュージアム編です。
ここでの写真は「大和」の模型と「零戦」の模型です。
他にもなにやら内外に展示されていたのですが、
零戦に夢中だったのと、おバカなRuiはヒールのサンダルを履いていた為
足が疲れてしまって途中でリタイヤしちゃったもんで...。
次回行く時は完全武装?で、しっかりちゃっかり撮りまくってきます。
でわ、戦艦「大和」の模型から。
右方前方より。
これで10分の1だから本物はとんでもなくでかかったんだろうなぁ。
続いて正面から。
若干真っ直ぐじゃないところが素人Rui...。
舳(みよし)に菊を戴いて~♪ おります。(太平洋行進曲)
逆光です(汗
仰ぐ誉れの軍艦旗~♪ (太平洋行進曲)
ちゃんと水上機も搭載されてます。
複葉だし、メインフロートが大きく、翼下に小さなフロートがあるので、
これはおそらく零式水観かな?(間違っていたらごめんなされ)
水上観測機というのは、戦艦などの砲弾の弾着を観測し、
距離や方角などの修正を連絡する砲戦支援の為の航空機です。
階下に降りて喫水線の下側のスクリューや舵も見れます。
足が痛くなければ、もっとあれやらこれやら、色々なアングルから撮ったのになぁ。
大失敗だ。
必ずリベンジなのだ!!
タグ:戦艦大和
大鑑巨砲主義の象徴『大和』ですか。戦史の上では時代遅れだったのでしょうが、これぞ日本人の心・魂の様な気がするのは私だけ?w
日本の造船技術の高さの象徴でもありますよね。
この国に資源があればあの戦争はどうなっていたのか・・・。
それはそれで恐い世界になっていたのかな?
by くぅ〜太郎 (2009-01-10 02:27)
くぅ~太郎さん=
>これぞ日本人の心・魂の様な気がするのは私だけ?w
当時はあまり知られていなかった「大和」ですが、
なぜだか、戦後生まれ、しかもこの数年でようやっと太平洋戦争を勉強しだしたRuiでもそう思います。
原爆実験された長門の頑丈さといい、
魚雷二十数本受けて沈んだ武蔵といい、
当時唯一成功した酸素魚雷といい、
技術力はあったんですよね。
資源力と戦略眼が足りなかったということなのでしょうか。
by Rui (2009-01-11 12:05)
今造さま=
niceありがとうございます。
by Rui (2009-02-05 16:49)